2006年のブログを振りかえって。自己承認欲求とカウンセリングでトラウマ発見

アイキャッチ 2006年

2006年に書いた日常系ブログは、「だ・である」と「です・ます」の変換期だった気がします。それと、内容に関して当時の職場での悩みが増えてきた時期でした。

それと、カウンセリングで見つけたトラウマによって、新たに一歩踏み出すことにつながった年でした。

2006年に書いたブログの特徴

会社での人間関係に悩み始める

当時、働いていたのは小さな会社でした。みんな仲がよく、仕事も大変だったけれど楽しい毎日でした。

そんな中、私が苦手とするタイプのAさん(きつい口調で誰にでも本音をズバズバ言ってくる)が入ってきて、Aさんの言葉に傷つくようになりました。それと同時に、今までやっていた仕事もAさんに奪われていったのです。

その後、大学を出たばかりのBさんが入ってきました。Aさんと同じく、思ったことをズケズケ言うBさんは、しだいにAさんに懐いていき、このふたりは会社でやりたい放題でした。

たぶん、Bさんにしてみたら「先輩がやってるから、こんな感じでいいんだ。ちょろいわww」と思ったのでしょうね。

2人は仕事ができるので注意もできず(会社は成果主義だったので)、大好きだった職場も仕事も、どんどん居づらくなっていきました。辛かったなあ…。

そもそも、私にとっての仕事は自己承認欲求と自己を表現する場所でした。当時の会社は、初めて認められて、仕事をまかされて、同僚とも仲がよくて、本当に大好きな場所だったんです。

でも、それが後から来た人たちによって壊されてしまった。いや、彼女たちはなにも悪くはないんですよ。ただ、思ったことをそのまま言っただけで、私が勝手に傷ついただけですから。

でも、どうしても「彼女たちによって居場所が奪われてしまった」と思ってしまったんですね。彼女たちの言葉に自分を守る方法がわからず、悩んで落ち込んで、不安になっていきました。

カウンセリングに行ってトラウマ発見

そもそも、認められないことが何故こんなに辛いのか。その根本を見極めるために、一度カウンセリングを受けてみました。そうしたら、意外なことを言われました。

それは、母親との関係性でした。私の母は父と仲が悪くて

「離婚できないのは、手に職がなかったからだ」

「結婚なんてするもんじゃない。子どもなんて生むもんじゃない」

「だからお前は自立できる人になりなさい」

と、言われて育ちました。

不器用な私は、母の言いつけをまもり、とにかく仕事について自活しなきゃと、勉強をがんばり、仕事についてからも将来を見据えて勉強し、資格を取り、転職し、ようやく母の希望にかなったと思ったらこう言われました。

「あんたいつ結婚するの?」と。結婚をしたら「子ども生みなさい。」と。

その時、ものすごくショックを受けたんです。こんなにがんばったのに、また新たな努力をしなければ認められないのか。「結婚はダメ」「子どもなんて…」と言った口で娘にはそれを強いるのか。

幸い、優しい方と結婚し、自分たちなりの生活を送っていますが、私はこれまでの母の言葉ですっかり結婚や子育てが怖くなっていたのです。

もちろん、母は私の幸せを思って言ったのでしょうが、刺さった棘はいつまでも私を支配していました。

男じゃなかったことへのコンプレックス

私は3姉妹の末っ子で、男の子を望まれていたのに、女だったと言われ、「おまえが男だったら」と言われて育ちました。常に「自分は認められない」という思いを抱えていたんだと思います。

私は仕事にのめり込みました。認めてもらいたくて。

だから。自分で見つけて、がんばってきた大事な場所を「奪われた」と感じて、とても不安定になっていったのだと思います。

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